2016/07/17

夢見がちで未来思考。極端な場合では色情狂、宗教妄想者もでるが詩人、哲学者 に多い。



" 地獄に片足突っ込んでるような不幸なやつをかっこいいって思ってる人とか、ダサいのをかっこいいって言っちゃう人とかたくさんいるけど、わたしは幸せな方が良いし、かっこいい物をかっこいいって言います。"


これは2014年6月のわたしのメモ書き。
(言い方が尖りすぎていて、君も小指を地獄に浸けてるよ、と思います…。)
わたしは多分なんですが、小さい頃 お母さんと二人暮らしの鍵っ子だったり、学校にも友達がいなかったりした所為もあって、たぶん、たぶん幸せな環境への憧憬が人一倍つよくて、「幸せになる事は復讐である」とかそんな手記も残っているほどだった。
でも、その後には「そんなことも考えなくなった時にわたしはきっと本当に幸せになれたということ」だとも記していて、本当にそういう事なのだと今でも思う。


そんなわたしでしたが、時の流れは非常に無情で、「子ども」と「大人」とかそんな0と1の極論ではなく、その間のカンマの後が延々と続く微妙で曖昧な境を雲のような速さで変化をし続けていた、みたいです。
わたしはわたしに生まれてよかった、とふとした時に思う瞬間があって、わたしはとてもじゃないけどナチュラルボーンハッピーな人間ではないけれど、それは本当に心の底からなんの疑念もなく ぽっ、とでた純然たる気持ちだった。
よく、仕事で納得のいかない事を言われても芯にあった気持ちは変えられなかったり、わたしの正義に反した事はなんとしてでも断固としてやらなかったり、そういうのってすごく子どもっぽいことだけど、そんなことをしちゃった日の帰り道や眠る前ベッドの中で「うまくできなかったけど、今日もわたしはちゃんとわたしでした。」と唱える。懺悔でもあり、尚且つ わたしを見失わない呪文のような言葉です。
でも、これはきっと自己を正当化する為の黒魔法みたいなもので、本当は わたしじゃない もっと明るくて元気で声が大きくて、それで協調性があってリーダーシップもあってっていうそんな女の子になりたいって心のどこかでちょっとだけ思ってた。
でも、近頃思うわたしでよかったっていう気持ちはそんな邪念一切なく、20ちょっと生きてきて、はじめて強がり抜きで自分のことをすきだなと思いました。
可愛い子も、歌がうまい子も、スタイルがいい子も、本当に星の数みたくたくさんいるけど、その中でもわたしを選んでもらえたという事実を心にしっかり打ち留めていたい。


よく言う丸くなるってきっとこういうことなのだと思う。
昔のハングリー精神の元に牙をむき出して殺したい、とか、死なされたくない、とか思っていた頃のわたしとは変わってしまったし、それにはそれの良さもあるのだと思う。
でも、幸せなのって最高にかっこいいことだ!


神社にお参りした時に、今みたいな幸せがずーっと続きますように、なんて日和ったことを心の中で唱えちゃうわたしをどうか許してほしいな