2015/11/04

suicide, love or die 或いはそれ以外のlove






寝ずに迎えた朝というものは、わたしにとって一番仕事が捗るというか、強迫観念に苛まれて手が止まらなかったり、タイプする指が一層加速したりする。いまがまさにそんな状況で、次々に自分で罪を犯して罰を背負うように、頭をひねって仕事を次々しょいこんだ。それでもいよいよやるべきことがなくなってきてブログを整理しようと過去の記事を読み返した。ついこの間、古くからの知人に「あなたには本当に飽きさせられなかった。あなたは毎日面白いことを見つけていたし毎日違うことを言って違う話をしてキラキラしてた。」と言われた。それを思い出すくらいわたしの言ってることはしっちゃかめっちゃかで一貫性もなくて、いつも違う物に恋をして、いつも違う哲学を掲げて、それを艶々と話して、笑ったり照れたり泣いたりころころ忙しいやつだったので思わずくすりと笑ってしまった。わたしは大人になった。それを実感するのは、そんな昔の自分を今も変わっていないんだなと客観視できてしまう時だ。世界が一面桃色に見えた頃の私も、地獄にいるかのような頃のわたしも二つの目でまるっと見渡せてしまうのだから。そして、そんな自分を矯正しなきゃいけないと本気で考えているのだから。おまえの叩き割った液晶テレビはうん十万円だ。おまえの破滅願望が何人もの心をずたずたにしているのだ。幸せになる才能の有無というものの差は大いにある。どんな境遇にあっても幸せになる才能のある者が幸せになるのだ。わたしは幸せになりたいと思っている。わたしは破滅願望が強い人間だ。当時からうすうす感づいてはいたが今言葉で明確にここに宣言してみせるとすれば、こういう事を言ったら現状が悪化するだろうと思った方向に事を進めてしまう種の人間なのだ。だが、それを矯正したいと思うようになり、わたしは平々凡々でセカイ系のヒロインに存在しない世界に行きたいと願うようになった。ラブorダイという考えも覆したい。この世界はラブあるいはそれ以外のラブで構築させているのだから。ももちゃん14歳の頃のあなたが好きだったと名前の変化でしか人を捉えられない白痴がたくさんいる。わたしは常に変化をしている。それは成長であり劣化を伴う。緑川百々子ver4.1.1.23くらい常にアップデートが繰り返される。そしてわたしは緑川百々子を内側から崩壊させたい。緑川百々子はセカイ系の地軸に生きていて、極論を好み生と死しか選択肢になく、薄明である。そんな私自身のアカシックレコードをハッピーエンドでぶち壊す。それがわたしの今後の野望だ。